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【36話】父の腕、母の掌

投稿日:
更新日:2024/11/01
小説版

人生で一番長い日。その日の朝早く、私は空港の到着ロビーにいました。

前日、急遽モラハラ夫との話し合いに参加することになった父が到着するのを、私はひとり待っていました。母は土地勘がないからと、前日宿泊していたホテルで待機し、モラハラ夫と私の住む家の最寄りの駅で待ち合わせをすることになっていました。

迎えた父は、前日の母と同様、空港から母との待ち合わせ場所まで終始口を開くことはありませんでした。

目的地に到着し、父はようやく口を開きました。

「腹が減ったな。」

私たち3人は昼食を摂ることにしました。
モラハラ夫と婚姻してから、実家と疎遠になっていた私にとって、久々の家族との食事でした。

けれども、その場の空気はどんよりと重く、せっかくの食事もまったく美味しく感じられませんでした。

食事を済ませ、私たち3人はようやく互いに口を開き、話し合いを始めました。

父は大方のことは前日に母から聞いていたようでした。
父は、私がモラハラ夫と本当に別れたいのか、最終的な意思を確認してきました。

私は、前日の母との話し合いにより、モラハラ夫と別れる意思は固まっており、自分の口からそのことを父にもはっきりと伝えました。
その後、モラハラ夫と別れたあとの私はどうするのかも、じっくりと家族3人で話し合いました。
私たちは、私がモラハラ夫と別れたら、私は父と母とそのまま実家へ戻り、会社も退職するという結論にたどり着きました。

そして、私たちはいよいよモラハラ夫の待つ、私たち夫婦の住まいへと向かったのです。

マンションの部屋のドアの前にたどり着いた私は、インターホンを鳴らしました。

「はい」モラハラ夫のか細い声が聞こえました。

「私。開けて」そう私がインターホンに向かって告げると、少々慌てたような声で「はいはい、ちょっと待って」とモラハラ夫が告げ、ドアに向かってくる足音が聞こえてきました。

「ああ、もうこれですべてが終わる」そう思った私は、ドアが開いた瞬間にその場で泣き出していました。

父と母はそんな私をよそに、私たち夫婦の部屋へどんどん入っていきました。

父と母は、モラハラ夫に対して、私がモラハラ夫と別れる意思を固めたと話し始めました。

すると、モラハラ夫はいつものモラハラな部分はどこへやら、とても誠実な雰囲気を醸しだし、私の父と母に話し始めたのです。

「お父さん、お母さん、違うんです。僕は○○さんを幸せにするつもりなんです」と言い、父と母を説得しはじめたのです。

その説得に、説得させられたのは、父と母ではなく、私でした。

私は、その話を聞き「私は大変なことをしてしまった。この人は、本来は優しい人なんだ。モラハラをしていたのは、私がだめな女だからなんだ」と自分を責め、この状況を打破しようと、無駄に話し合いの時間を引き延ばすため画策し始めたのです。

私は、時間をかければモラハラ夫が私の父と母をうまく説得してくれて、モラハラ夫と別れずに済むのではないかと考えたのです。

ただ一方で、別れたくないと思いつつも、やはり別れた方がいいのだろうということも、頭のどこかにあったので、私は完全に迷っていたのです。

そして、当然ながらそんな私の愚策は父と母には通用することもなく、私がどれだけ時間を引き延ばそうとしても、モラハラ夫が父と母を説得することはできませんでした。

自宅に到着してから既に3時間ほどが経っていたと思います。
私は「“別れた方がいい”という考えが正しいはずだ」と、どうにか自分に言い聞かせ、必要最小限の荷物をまとめ、その場を去ることにしたのです。

モラハラ夫と私は、今後互いに連絡を取ることも禁止されました。

私は、もはやこうなればそれも仕方がないと腹をくくっていました。

父と母を説得できなかったモラハラ夫は、父と母に、自宅の荷物を今日から3日間で引き払うと約束し、私たち家族3人はモラハラ夫をそのまま残し、自宅を後にしたのです。

マンションのエレベーターの中で、私は1日ぶりに携帯電話の電源を入れました。

するとそこには、昨晩自宅に戻らず、携帯電話もつながらない私に対して、モラハラ夫からの心配メールが多数届いていたのです。

再び後悔の念に襲われた私は、エレベーターを降りマンションのエントランスに出た瞬間、気が狂ったように、まるで生まれたての赤ん坊のような大声で取り乱して泣き出していました。

「あの人は、本当は優しいんだよ!私が悪いんだよ!私のせいなんだよ!」

マンションのエントランスに倒れ込み、大声で泣きわめいていました。

すると、そんな手の付けられない私を制止するため、父が私をその大きな腕で優しく抱きかかえてくれたのです。 

父に抱きかかえられながらも泣きわめいていた私でしたが、父の大きな腕の中は、なんとも言えない温かい心地で、その温かさに包まれて、私も徐々に泣き止んでいきました。

「お父さん、なんとかして」ようやく発した私の言葉に、父がこう言いました。

「わかった。なんとかしてくる。なんとかもう一度彼と話してくるから待っていなさい。」

そう言って父は、私と母をマンションのエントランスに残し、エレベーターに乗り込み、ひとりでモラハラ夫と話をしに行ったのです。

それから10分ほど経った頃でした。父が乗ったエレベーターが降りてきました。

そこにはモラハラ夫はおらず、父ひとりでした。

けれど父は、モラハラ夫と話し合ったことを携帯電話に録音していました。

「1年間、互いに連絡も取らず離れてみて、自分を変える努力をして、娘を迎えに来なさい」

という内容で、モラハラ夫もそれに納得している様子でした。

父は、私がこれ以上おかしくなってしまわないように、精一杯のことをしてくれたように思います。

ようやく落ち着いた私は、自分の足で立ち上がり、その日家族3人で宿泊するためのホテルへと歩き出したのです。

ホテルまでの道中、ずっと母が私の手を握ってくれていました。
その手は父の腕の中と同様、とても温かくて、まるで子どもの頃に戻ったような安らかな心地でした。

こうして、ようやく私はモラハラ夫と距離を置き、10年にも及ぶ婚姻生活に終止符を打つことができたのです。

と、思ったのも束の間・・・。

ここからは、共依存の怖さを皆様に感じ取っていただければと思います。

その日の夜。家族3人で食事をし、ホテルの部屋で一段落していたころのことでした。

それまで、片時も私の側から離れていなかった父と母が私の側を離れた隙のことでした。

私は自分の携帯電話を取り出し、電話帳からモラハラ夫の番号を検索し、発信ボタンを押していたのです。

ダイヤルをして数コールで、案の定モラハラ夫は電話に出てくれました。

「お父さんに怒られるよ」そう言って、すっかりモラハラの抜け落ちた優しい声で、モラハラ夫が私に話しをしてきたのです。

そして、私たちは、これから互いに距離が離れることになっても連絡を取り合うことを約束し、人生で一番長い一日を終えたのです。

清武 茶々

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【著者情報】


家事部 部長 福岡県弁護士会(弁護士登録番号:45028)

2007年 慶應義塾大学法学部 卒業

2009年 慶應義塾大学法科大学院法務研究科 修了

2010年に司法試験に合格し、東京都内の法律事務所を経て、2014年より弁護士法人グレイスにて勤務

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